ここでは、30周年記念誌より、会員さんへのインタビュー記事を抜粋してご紹介しています。長く続けたからこそ見える会員さん家族の本当の声です。

風邪をひかなくなった。

 入会して五、六年が経った頃、夫婦ともども風邪をひかなくなったことにふと気づいた。それを機に、食生活の重要性への認識はさらに強まった。ちなみに、二人はこれまでインフルエンザにかかったこともないという。「日頃の食生活のおかげなのかなと。おかげさまで二人とも健康で元気になった気がします

 以前、「節約して暮らすために食費を節約して、体をダメにしたら元も子もない」という話を耳にしたことがある。「普段の食事というのは、一番いい“保険”なのかもしれないですね。「安心」という基本があった上で、おいしく食べたり納得して食べられた時は、やっぱり気持ちが穏やかになる。私は不安がってしまう性格でもあるので、多少値は張ったとしても「安心」を買う方を選びます」。食生活改善に取り組む姿勢が伝わったのか。独立し、家庭を持った息子の家でも全有連の野菜をとっているという。
「続けてきた実感としてあるのは、結果が出るまでには長い時間がかかるんじゃないかということ。当初はこれほど長い間続けられるなんて思ってもみなかったけれど、続けてきてほんとによかったと思っています

全有連の野菜は、私たち家族の生命を支えてくれている

 かつて入居した新築アパートでホルムアルデヒドにやられてしまったことがある。子供の頃、実家の回りではヘリによる農薬散布が行われており、台所で野菜についた農薬を懸命に洗い落そうとする母の姿を覚えている。高校生の時、授業の課題として出された『沈黙の春』を読んだことも記憶の片隅に残っている。門池さんの中に“種”は宿っていたのだ。
 「全有連の野菜は、私たち家族の生命を支えてくれているのだと思っています
 門池さんが入会してから、二十五年が経った。
 「届くのが当たり前となった今では、もはや生活の一部になってしまっています。ずっと続けている主な理由は二つ。まずは、生産者の方や米山ご夫妻をはじめとした会の方々のお人柄。そして、もちろん健康のこともあるけれど、結局はおいしいから。自分の手で育てたとりたての野菜もおいしいけれど、全有連の野菜はもっとおいしい。だから、長野にも野菜箱は届いているんです」

料理のレパートリーが増え、「旬」を意識するようになった

 「取り始めたことで、今までは同じような野菜しか食べていなかったことがわかったんです。料理のレパートリーが増え、食べ物の「旬」について意識できるようにもなりました。(全有連から届く)おたよりも私たち消費者の側に学びや気づきを与えてくれたので、ありがたかったですね。でも、何よりよかったのは、安心、安全な食べ物を子どもに食べさせられたことでしょうか」
 徐々に変化が表れるようになったのは、そんな生活を始めて五年目頃のこと。加藤さんの子どもは五人。第二子の長女、第三子の次女にも乳児期に長男と似たような症状が出ていたが、第四子の三女以降、症状はほとんど出なくなった。長男や長女の症状も緩和し、今ではうそだったかと思うほどきれいに治っているという。「だから、山形の野菜に出逢えて本当によかったですね

子供たちに農業体験、第二の故郷と呼べる。

 毎年のように家族で山形に行き、静心荘を拠点に山形を満喫。畑でとったものや地元のものをみんなで調理し、味わう時間も楽しんだ。家族の多い加藤家には、良心的な宿泊費用も魅力のひとつだった。
 「子どもたちは畑での農業体験にも参加させてもらいました。冬に行った時には、これ以上ないくらい雪遊びを楽しみました。存分に使わせて頂いたおかげで、私たち家族にとって山形は第二の故郷と呼べるくらいの存在になったんです」季節は巡り、子どもたちも一人、またひとりと巣立っていった。思えば、入会してから四半世紀以上が経っている。「これからもずっと続けていくでしょうね。もう、山形の野菜を抜きにした生活は考えられないですから

無駄遣いも医療費も減った。

 「山形の米は冷めてもおいしいんです。一方で、たまの外食時に出てくるお米は食べれたもんじゃない。外食のごはんをおいしいと感じたことはほとんどないですね」
野菜や米のみならず調味料にもこだわっている。
 「だからエンゲル係数は高いですよ。でも、生活全体で見たら決して高くはないのかなと。まず、スーパーに行かなくなったので、自然と無駄使いは減りました。それから、医療費も。入会して十年ほど経った頃でしょうか。私も妻も、しばらく医者に行っていないことに気づいたんです
 思えば、野菜をほとんど食べていなかった学生時代は時々風邪をひいていたんですけどね。加えて、食に対する安心や、自然を感じたりできるといった目に見えない部分を考慮すれば、お金を出す値打ちはあるんじゃないかと思っています」

娘のためにはじめ、今でも続けている。

 「娘のアトピーをきっかけにはじめ、それから二十年近く経った今、彼女のおかげで食べることに関しては訓練され、外出時には必ず弁当を持っていくという習慣も身につきました。食べるものが大事だってことも身をもって実感できました。さらには、おいしいものを食べてこられたし、食の世界も広がったんです
 河村家の食卓に寄り添ってきた全有連との関わりは二十年を越えた。その間、大きくなった娘が家を出たり、同志として支え合った夫に先立たれたりと河村家の生活にも変化があった。
 「それでも続けられている、むしろやめるなんて考えられないくらいに、全有連の野菜箱は大事なものなんです

阪神大震災も“つながり”を実感するひとつの契機となった。

 米パニックのときにはじめた全有連との付き合い。被災地の外れに住んでいた東條家は、直接的な被害を受けずに済んだ。震災の当日、近所の八百屋は市場への仕入れを済ませ、通常どおり営業していたことも憶えている。山形と自宅を結ぶ道路は通じており、理論上、運送に支障はないはずなのに荷物が届かない。数ヶ月のうちに回復したとはいえ、どうやら運送業者が「兵庫県内に荷物は届けない」という措置を取ったと知った時はショックを受けた。
 震災後二ヶ月ほどガスが止まっていたため、自宅では風呂に入れなかったり、火を使う調理は近所の人から借りたカセットコンロを使ったり。乳幼児二人を抱える身上も相まって不便な生活を余儀なくされた東條さん。厚かましいのではないかと気兼ねしつつも、全有連に救援物資を要請した。
嬉しかったのは、カセットコンロが入っていたこと。それから、気晴らしにでもと気を利かせてくださったのでしょう、一合パックのお酒を見た時にはなんだか心が温まりました。とにかく、人の情けが身に沁みた経験でした。そういうこともあるから、これからもつながっていたいなとは思うんです

気づいてみれば、生活と一体化してしまっている

 二十年ほど前。子供のアレルギー体質を気にかける母は、新聞で「産直」の文字を追っていた。「産直」が流行っていた当時のこと。選択肢はいくつかあり、地元の業者からの調達も可能だった。でも、東北の方がもっとよさそう――。何となく働いた律子さんの勘は、見事に的中する。
 「ほんとに野菜がおいしかったんです。小松菜を例にとれば、この辺り(京都市内)では食べる習慣がないし、たまに食べたところで固いうえにあまりおいしくない。でも、全有連の小松菜を初めて食べた時はビックリ。小松菜のイメージをまるっきり覆されたんです。玉ねぎにしても然り。淡路島の玉ねぎもおいしいけれど、全有連のはさらにその上を行く。いちいち確認していないから、どこで作られてるのかは知らないんですけどね(笑)」
 入会してから二十年以上が経った。他のサービスへの乗り換えを検討したこともなければ、辞めようと考えたこともない。「とり始めた頃は、今週は何が入ってるんやろと心待ちにしていたけれど、この頃は習慣というか惰性みたいな感じになっている。要は、生活と一体化してしまっているということなんでしょう(笑)ともあれ、やってよかったな、と思っていますね」

こんなにおいしい野菜があるんやと、びっくりしたんです。

 「(それまで食べていた野菜との)落差が激しかったからでしょうか。こんなにおいしい野菜があるんやと、ほんとにびっくりしたんです。きっと本来の甘みか何かがあるんでしょうね
 驚いたのは味だけではない。夫と二人暮らしの身である。試しに一〜一・五人分のセットを頼んでみたところ、届いたダンボール箱に入っていた野菜の量は想像以上。こんなにたくさん野菜を摂らないといけないのか。驚きはやがて戸惑いに変わった。野菜は足りているつもりという思い込みがぐらつくとともに、野菜に追いかけられる生活が始まった。料理というより処理に追い立てられた時期もある。一方で、始めてまもなく、長らく悩まされていた便秘が解消されるなど、効果も実感した。試行錯誤を繰り返した末、味噌汁(味噌スープ)にまとめて調理するやり方に落ち着いた。野菜の味噌汁にパン、白菜の即席漬けにパンといった朝食メニューにも抵抗はない。野菜を食べることが第一の目的であるからだ。

 「長く続けてきてみて思うのは、普段からたくさん野菜を食べているおかげで、高血圧や糖尿病といった生活習慣病にかからずに済んでいるんだろうなってこと。身体に悪いところが一切ないわけではないんですけどね」

人を良くする食を大切に…。

 全有連から届く食材が食卓に並びつづけて二十数年。当初六歳だった息子とまだお腹にもいなかった娘は、今では社会人と大学生になりました。息子は「もう全有連のお米しか食べられないよと言い、娘は 「私が結婚して家庭を持ったら、絶対に私も全有連の食材をとり続ける!」と宣言しています。思えば彼らは小さい頃、夫が買ってきたアメリカ産の果汁ジュースをひと口飲んで即拒否の意を示しました。子供達は(私もそうですが)、コンビニやスーパーで売られている殺菌されたサラダやカット野菜などは多分身体が受けつけないはずです。そういう意味では、きちんとした食育ができたかなと思っています。何しろ本物の野菜の美味しさを知っている幸せ者家族ですから。

 研究者として沖縄に通っています。おせわになったお礼に全有連の野菜やお米を送るととても喜ばれるという。沖縄の人は『人を良くすると書いて食という字になるでしょ。食べることは大事だよ〜』とよく言います。全有連とは食を通してこれからもつながっていきたいです。

自然の中にいると、大人も子どももいい顔になる

 初めて山形を訪れたときのこと。代表とともに山形山農場に向かって歩いていると、雨が降ってきた。
 「いや〜、いい雨ですね〜」しみじみと語られた代表の言葉に繁さんは驚いた。
 作物を育てたことがない自分にとっては、雨はいやなもの以外の何物でもない。わざわざ都会から全有連を訪れ、これから観光もしようとしている人間に向かって「いい雨だ」なんて……。それまでの自分の価値観からすればありえない発想だった。
 黙っていると、代表は続けた。
「実は昨日ちょうど、人参の種を蒔いたんです。人参にとっては、ほんとにいい雨だ」
 虚をつかれた思いがした。雨にもいい雨があるんだ。農業ってそういうことか。作物を育てること、自然の中で暮らしていくこととはそういうことなのか――。今も忘れられないエピソードである。
 体験を通して新境地が開けていったのは、淳子さんも同じだった。
 自然の中にいたいという思いが根源的にあったからだろうか。山形の田んぼにいると、東京のマンションでは得られない喜びを味わうことができた。自然の中にいると、大人も子どももいい顔になると知った。また、ある農家に虫の名前を尋ねたときには、「悪さをしない虫だ」との答えが返ってきた。名前で覚えようとする自身の物差しとの違いが浮き彫りになった。

 体験とともに広がる視野は、消費者としての態度や行動にも影響を及ぼしていった。
振り返ってみれば、変わらずおいしい野菜を食べつづけ、いろんな体験をし、いろんな顔も見え、いろんな思いに触れるなかで、生活そのものがどんどん“農”の方へと近づいていっている感じがするんです

全有連は親戚みたいな感じなんです

 最近、縁があった人の畑仕事を手伝わせてもらうようにもなった。が、四季を通じて作物を育てるなかで、知らなかった苦労や驚き、喜びを知るたび、“わかったつもり”を再認識させられるという。
 「農業の奥深さを思えば、私たちはせいぜい農業愛好家。いっちょかみなんです(笑)」
 「全有連は血縁のない親戚みたいな感じなんです。対話集会は親戚の集まりのようなもの。タイトな関係性が実現されていながら、外に開かれていないわけではない点もすごくいい。フォトニュースや土の声は、同じ食べ物を食べ、同じ通信を読んでいる人たちとつながる強い絆の受け皿になっていることを感じるし、私はきっとそこにどっぷり浸かっているんでしょう」「体験を繰り返すなかで、新しい価値観に触れるなど、得るものがどんどん増えてきた。そうやって歳を経るごとに積み重なってきたものが自身の宝になっている。それがたぶん、離れられない所以なんでしょうね」

土の香りと一緒に届く、本物の野菜を毎日子どもに味あわせられるという贅沢

 仕事と生活、仕事と家庭。両者のバランスをどう取るかは、生活する私たち一人ひとりが選択していくことだと思っています。全有連とのお付き合いも、今の食はどうあるべきなのか、を考えるひとつの道筋。だから、安心・安全な野菜を届けてくれる、というだけではない大切な存在です。」
 模索を続けながらも、麻記子さんと全有連との関わりは二十年以上にのぼる。
「米山ご夫妻のことも知っているし、生産者さんのことも――会ったことはないけれど――毎回野菜と共に届けられる通信を通じてよく知っている。時間にゆとりがない身として、日々の食事に使う食材を納得して選ぶという本来は自分がやるべきことを、全有連というフィルターを信頼して委ねているのだと思います。土の香りと一緒に届く、本物の野菜を毎日子どもに味あわせられるという贅沢は、都会ではそう簡単にできることではありません」

ここならまちがいないなと思ったんです。

 入会して三十年近くが経った。長く続けてこられた理由としては、扱う野菜のおいしさ、よさに気づいたことだけではなく、果物がおいしいこともある。しかし、それだけではない。かつての「農業体験イベント」で、子どもたちが寝静まった後、大人の参加者七、八人と米山代表とで話をする時間があった。会社としても、歴史はまだ浅く手探りで事業を進めている段階である。消費者の生の声を聞く場として、代表はサービスに対する意見を求めた。その中で一人はこんな意見を口にした。
「農家さんは大変な思いをしながら無農薬で作物を作っている。だから、消費者は少しくらいまずくても、虫食いがあっても受け入れるべき」
私は「その考えもわかる。でも、薬じゃなくて食べ物なんだから、おいしくなきゃ消費者は買わないんじゃないか」と思い切って発言。それに代表は理解を示してくれた。「消費者の気持ちをわかってもらえたという実感はありました。そのほか、対話集会のような会合も度々開き、消費者の意見に耳を傾けてくれるので、ここならまちがいないなと思ったんです。阪神大震災が発生した直後、野菜をたくさん積んだトラックで関西に向かったと聞いたときは感動しました。東日本大震災後、野菜などを持って、被災地の生産者や仮設住宅に暮らす人々を定期的に訪問する姿勢にも、信頼はさらに深まっています。そういうところも、長く続けてこられたひとつの理由だと思っています

山形で味わう昔の味

 上村さんは鹿児島県出身。明治生まれの母の料理はすべて手づくり。自宅の畑で育てた野菜が食卓に並ぶことも多く、なかでもトマトの味は無上のもの。十八歳で上京してから食べたトマトには愕然とし、しばらくの間は食べられなかったほど。当時から五十年経った今でも、それ以上のトマトには出会えたことがない。その他、海が近いところに住む親戚からとれたてで新鮮な魚介類をもらうこともあるなど、天然の食材には慣れ親しんでいた。丸ごと食べられる野菜を食べたい、と願う気持ちは、上京した頃から四半世紀近く、上村さんの胸にくすぶっていたのだ。
 食いしん坊であることも手伝って、これまで日本各地を旅行してきた上村さんだが、目当てはいつも、天然ものが扱われている郷土料理。郷に入っては郷に従え。旅行の際には、あまり原材料などを気にしないよう、スイッチを切り替える。とらわれすぎると、つまらない人生になってしまうからだ。
 山形山への訪問は、食べ歩きの一環でもある。山菜採り、さくらんぼ狩り、りんご狩り。きょうだい三人、あるいは姉妹で年に三度は山形を訪れている
「色々食べてきましたけど、静心荘で食べる宏子さんたちが作った料理を超えるものはないんです。
 心があってあたたかい全有連は信頼しているし、安心感もある。お互い独身の姉と、歳をとっていよいよ動けなくなったら、日々の食事は安心工房の惣菜でまかなおう、と計画しているんです

娘も孫も喜ぶ田舎ができた。

 農場での娘の様子を見て、直実さんは再訪を決めた。当時四歳の娘が生き生きと楽しんでいる様子は、ふだんの都会生活では見られないものだったのだ。以来、約十年。山形山通いは続いている。「二度、三度と足を運ぶうち、米山夫妻の持つ独特なあたたかみを感じるようになっていったんです。そのあたたかさに触れるたび、いつもまた来ようと思いながら帰るんですよね。それに、東京の自宅に届く野菜もおいしいけれど、山形で食べる料理は輪をかけておいしい。全有連のスタッフさんが一生懸命作ってくれていることが、なんとなく伝わってくるんです。」
 娘さんも静心荘に行く前から、全有連の野菜や米のおいしさは知っていた。近くに住む母からたびたび全有連の野菜や米をもらったり、家でご飯を食べさせてもらったりしていたのだ。しかし、生まれも育ちも東京の六本木である。両親ともに都会育ちのため、田舎を持たない娘さんにとって「田舎」は縁遠い存在だった。それがかえって、新鮮な驚きや喜びをもたらした。

今、結婚して父親となった息子たちは自分の子どもの食事にすごく気を遣っている

 「子どもたちにはいいものを食べさせたい」という思いは一貫してあった文代さん。経済的な事情もあったが、なるべく家で食事を摂るようにしたり、息子の弁当には毎日、圧力鍋で炊いた玄米を詰めたりするなど、食べものへのこだわりは人一倍。すでに原発の危険性にも目を向けていたふたりにとって、県内に原発がないことが山形を移住先に選んだ理由のひとつだった。
 もとより、夫婦そろって、「安全」に対するアンテナの感度は高かった。生協に加入したのも三十年近く前。今ふたりを取り巻く環境は変わった。入会した頃は小学生だった四十歳の長男を筆頭に、三人の息子はみな独立し首都圏で暮らしている。
「それぞれ所帯を持っている彼らには、安全な食材を使うように勧めたことはない。でも、どこかで伝わるものがあったんでしょうね。今、結婚して父親となった息子たちは自分の子どもの食事にすごく気を遣っていて、無農薬野菜もけっこう買っているみたいなんです

野菜の味がしておいしい。だからきっと、長く続いている

 これまで野菜のほか、米や肉、パンなど、足りなくなれば追加注文をしながら、ほとんどの食料を全有連から調達してきた。「比較ができないので、現在の健康状態とふだんの食事との因果関係はわかりません。ただやっぱり、外でとる食事はたいがい野菜そのものの味がしないというかおいしくない。一方、全有連の野菜は、多少の波はあっても、基本的に野菜の味がしておいしい。だからきっと、長く続いているんだと思います

香りや味がまるで違うことをいつも実感

 全有連から届く野菜はすべて、皮ごと食べるのが落合さんの習慣だ。季節を問わず、毎回のように届くにんじんは、長い間、生でスムージーにして飲みつづけている。市販されているものとは香りや味がまるで違うことをいつも実感しているとか。
「生産者と販売元・消費者の間に立ち、食のあり方を伝えていく役目として、私は何をしていかなきゃいけないんだろう……」生活者が何を求めているかを察知するアンテナ、歳を重ねても薄れることのない情熱を胸に、落合さんは未来を見つめつづけている。
「全有連が実践されているような、こだわりを貫く生き方を私もしたいなと。食べごと全般に関わっている人間として、健康を維持していかなければなりません。料理教室をやっていると参加者のご家族の食生活を守っている責任めいたものは感じますから。いつも野菜をいただいていることの無言の影響は、長い間つづけているという結果に表れているんだと思います」

生きていることが楽しくなった(会員の娘さん)

 ふだん家で食べているものっておいしいんだ――。そう気づくきっかけを与えてくれたのは、風邪をこじらせて一週間入院したときに食べたまずい病院食だった。遊さんが小学生の頃のことである。その出来事を境に、食べる量は格段に増え、おいしいものを食べられる幸せを感じるようにもなると、体質の変化をすぐに実感した。学校を休む回数もみるみる減り、生きていることが楽しくなったと言っても過言ではないくらいになった。当時の記憶は今も鮮やかに残っているという。
 現在勤めている職場では、二十代の若い女性たちが胃腸炎や急性食道炎に罹り、苦しんでいるさまも何度か目にしてきた。かたや自分は、とりたてて大きな病気をしたことがない。アレルギーや花粉症に悩まされることもなければ、めったに風邪をひくこともないのである。
 「彼女たちと私が違う理由って、食生活くらいしか思い浮かばないんです。同じ世界で同じ空気を吸って生きているし、おそらく生活環境もそんなに大きくは違わない。因果関係はわからないけれど、家でずっといいものを食べさせてもらっていたことが、今に活きているんだろうなと思うんです」「食べものはすごく大事だと思います。会社の同僚たちを見ていて、ひとごとながら心配になったりもします。だから、自分を含めた家族の食事には気を配りたいし、いずれ子どもができたときには、私が母からしてもらったことをしてあげたいなと思っています

これなら安心して子どもたちに食べさせられる!

 私が全有連に入会したのは、四年前の震災直後の5月でした。震災から約一ヶ月が過ぎ、ようやくガスが使えるようになり、スーパーも震災前の品揃えが戻った頃でしたが、今度は放射能についての情報が多すぎて、どの情報が正しいのかわからず、子どもたちに何を食べさせたら良いのか悩む日々でした。そんな時に新聞で全有連の宅配の広告をみつけ、これなら安心して子どもたちに食べさせられる!とさっそくネットで申し込んだのでした。初めて届いた野菜を食べた時の驚きは忘れられません。この野菜って本当はこんな味だったの?とそのおいしさにビックリ。何を作っても以前よりおいしいので、料理が楽しくなり、家族にも大好評でした
 野菜の箱が届くと、子どもたちが喜んで開け、入っていた野菜を見てはあれこれメニューをリクエストされたりと、楽しい時間もできました。

だから、生きていく力は抜群やと思いますよ。

 子どもが小さいときには安全なものを食べさせたいとはじめた宅配。「とにかくおいしかった。当時同居していた明治生まれの舅も、わしは若い頃農業やってたけど、こんなにおいしい大根は初めてや、と手放しで褒めていましたから。仕事をする身にとって、買い物に行く手間が省けるのは助かったというのもありますね」
 自身の仕事が忙しかったこともあるが、小学校四年になってからは定期的にご飯当番の日を設け、その日の夕食は子どもに作らせた。たとえ“義務”を放棄して遊んでいることがあっても、絶対に手も口も出さない。彼らに与えたのは、全有連の野菜や生協の肉といった食材と料理の本のみ。「かなりスパルタ的でしたよ(笑)」と当時を振り返る。
 とはいえ、彼らの担当はせいぜい一品程度。料理が完成に近づくと、台所に立ち、副菜などを作った。そんな子育てが功を奏したのか、子どもたちは中学を卒業する頃には一通りの家事ができるようになっていたという。「(すでに成人となった)二人とも料理が好きな子になってくれたのはよかったかなと。習慣化しているので、ご飯を作ることを手間だと思わないみたいです。だから、生きていく力は抜群やと思いますよ。

協力しなきゃ、というのが入会の動機。

 「当時は「産直」や「有機農法」について具体的にはよく知らなかった。お金にならない事業をわざわざやっているなんて覚悟が違う、協力しなきゃ、というのが入会の動機。だからまともな理由は何もなかったんです(笑)」
 八十年代後半頃のことである。小児科医として患者を診察する傍ら、全日本民医連、神奈川県民医連の役員業務もこなし、目の回るような忙しさに追われていても、帰宅すれば母として家族七人分の食事づくりが待っているのだ。好きだというのもあり、料理をおざなりにしたことはないが、日々の食事を味わう余裕はなかった。事実、全有連から送られてくる野菜がおいしいことに気づいたのはかなり経ってからだという。
「知人と行ったレストランで出てくる野菜が全然おいしくないと感じたときにはじめてわかったんです。
知らず知らずのうちに全有連の味に慣れちゃっていたんでしょうね。「有機野菜は安心でおいしい」というような知識を持たずまっしろな状態でとり始めたから、かなり素直に反応できたように思います」

旬の野菜を食べることは、身体にもいいんでしょうね。

季節に応じた旬の野菜を食べることは、身体にもいいんでしょうね。そして本来の野菜の甘みがあって薄味でも食べられるおかげで、おのずと調味料をあまり使わなくなったことも手伝ったのでしょう。劇的に変わるようなことはなかったけれど、全有連の野菜を食べつづけるうち、少しずつ体調がよくなってきたんです。いまでは風邪をひいたとしても軽い症状で済みますし、身体が丈夫になったなと感じるんです
 入会してから二十年以上が経つ。途中からは米や肉も取り寄せるようになった波平さんだが、地産地消を推進する社会の潮流のなかで、地元から調達しようか、と考えたこともある。「さつま芋のつるの調理方法とかはわからないし、私にはどうも沖縄の地場野菜が合わなかった。冬場には雪が一米くらい積もる環境で育った身には、全有連から送られてくる野菜は見慣れたものであり、食べ慣れたもの。ふと故郷を思い出すような懐かしさを感じられることも、ずっと続けてきた理由のひとつでしょうね」


この物語がこれからもつづきます。

対話集会での声

阪神大震災の救援物資援助に感動

 毎週送られてくる野菜はとても楽しみです。大地からの恵み・贈り物だと思っています。うちには小さな子供がいるので、安全なものを食べさせてあげたいんです。
 今は、野菜もお米もお肉も全有連が提供しているもの全部利用させてもらっています。全有連に入って感動したことは、阪神大震災の初期の大混乱の中、救援物資を供給されたこと。「よく行かれたなあ、凄いなあ」と大きな感動をしたことをいつも思い出します。
 消費者と生産者、全有連とこうやって話し合う事ができることでさらに信頼に繋っています。


食を守る事は生産者を守る事

 大病したきっかけで全有連の野菜を取りましたが、何年か経ち、実際に安全な食事をこころがけ、フォトニュースの情報などから、農や環境保全そして食の大切さを学んできました。生産者が減っていくのは、その仕事をしても食べられないからだということ。やむを得ずやめる人もいるでしょう。でも私たちが守りたいその農産物=生産者を助けられるように、もっと考え、もっと応援するのも私たち消費者の役割と思っても良いことではないでしょうか。
 私は農家を応援したいと思って人にも勧めています。

野菜の梱包には感心しています。

 家族全員で「食育」をやるほど「食」にはこだわりっています。大手の有機野菜宅配会社各社から野菜を取っていましたが、新聞紙などを使って一番丁寧な包装をしていて、野菜に対する心が感じる全有連が一番です。その他は生活クラブなどを利用しています。
 安心なお魚を食べる会の大漁丸は、主人がさばいてくれて楽しくいただいています。知多半島の干物が好きでしたので、生産者の引退は寂しいですね。どこか良いところを早く見つけて欲しいです。
 大学で教育関係の職員してますが、全有連の体験農業にも教育委員会に要請書を出してもらい良い関係を築いていきたくも思っています。

生産者と消費者の繋がりが大切。

 今年一年は消費者が騙された年でした。
 日本の自給率も40%割るような状態です。ドイツなんかは日本より条件が悪いはずなのに100%以上の自給してます。これはっどういうことでしょうか?新婦人の会にも関わってますが、基礎体力を作る自給率向上に消費者と生産者の繋がりを深めていかなければと思います。
 全有連からの野菜と農業の情報、そして静心荘での農業体験から、娘は農業に興味を持ち、秋田で農業を始めました。私は環境保全の一貫として、生ごみの堆肥化にも取組んでいます。ダンボールに米ぬか5kgと腐葉土を混ぜて生ごみを入れるとどんどん堆肥ができて簡単ですよ。森永さんご夫妻

安心な食べ物にこだわり30年

 お米が冷害で無くなった時から入会しました。安心な食べ物は30年前から生協で取ってますが規模が大きくなったせいでしょうか?チリのカボチャなんか入ったりしていて疑問を感じたので、やはり小さいところと契約してます。全有連を含めて、そういうところは珍しい食材が入ってくるので、とっても面白く感じてます。

野菜ってご馳走だったんだ!

 阪神大震災の救援物資を運んだときはホントに感激しました。
6人家族なので週一回送られてくる箱は楽しみ。全有連とお付き合いし、イベントで大沼さんの田舎料理をご馳走になった野菜料理で「野菜ってご馳走だったんだ!」と初めてきづきました。
 野菜は工業製品と違い、天候に左右されるものなので予定を立てて作るのは生産者と全有連の方は、本当に大変だと思いますが、がんばって下さい。

送料も健康を考えれば納得

 安全な食品を求めて遠くまで買いに行っていましたが、家まで届けてくれる広告を見て全有連に入り、とても安心で便利な生活を送っています。野菜やお肉、お米と送料は月にするとバカにならない金額になります。少しでも安くなればいいと思います。
 それでも、毎日、安心でおいしいものをいただいて「健康」を手に入れ、病気もしないので治療費、薬代がないことを考えてみて納得しています。
 これからも全有連に期待してます。がんばってください。

元気な食と自然で元気な子が育つ!

 昨年も静心荘に泊めてもらいました。とても良い食と田舎を提供してもらっているので、全有連に感謝しています。この会に入ってからは特に「食」を考えるようになり、この子たちが食べるおやつやパンも安全なものを食べさせてあげたくて、生協や全有連から買って子供に与えてます。全有連ですべてを補えるように、今まで以上にいろんなものを揃えて欲しいですね。

ホーテロ村を拠点に有機的繋がりを!

 全有連には、ホーテロ村を拠点に有機的繋がりをしていってもらいたいですね。私もイベントなどに参加をしていましたが、現在は参加する機会が減りました。
 せっかくの静心荘、山形をもっと近く感じてもらうために、細かい事からしっかり情報を提供してみてはどうでしょうか?そうすれば、こんなに近いのか?こんなに楽しいのか?と意外と知らない事もたくさんあるのでは?いいきっかけ作りをしてください。
 野菜を梱包する新聞紙などは、たまには「山形新聞」を入れてはどうでしょう?山形などの地方の情報が入っているともっと身近に感じたりしますよ。

妊娠がきっかけ。果物嫌いも治った!

 自転車で15分位に生協があり、よく買出しに行きます。しかし、最近、生協も添加物など入ってる物もありちょっと心配です。私は、健康保険組合の事務員ですが、同僚たちの食への認識の低さには驚きます。全有連をきっかけにさまざまな情報を知り「なぜ病気になるのか」考えさせられます。この娘を妊娠した12年前に全有連に入り、とても元気に育っています。
 この子は果物苦手でしたが、さくらんぼツアーに参加したのをきっかけに果物が食べられるようになりました。

野菜で季節を感じる「本当の食」。

 私は、子供が小学生の頃に全有連に入りました。
静心荘のある幸生の子供達と交流させていただた時からのおつきあいで、その子は今ではもう社会人となりました。昨年も多くのイベントに夫婦揃って参加しています。全有連から毎週送っていただいている季節の野菜から季節を感じ、これこそ本当の食のあり方と思ってます。旬の食べ物を食べることで、その季節にあった栄養がとれることが健康だとつくづく感じますね。



野菜セットのご感想はこちらです。