稲作だより,  土の声

稲作は縄文時代からはじまった 土の声 2017.03 No.133

▼縄文時代中期の東北の人口は、46,700人と推定されています(小山修三)。これは九州の9倍。当時の平均気温は今よりも2度以上も高く、東北でも過ごしやすかっただけでなく、この気候によって、落葉広葉性が広く生い茂り、ドングリ、クルミ、クリ、などの貯蔵できる木の実が豊富だったことに加えて、その豊かな森にはシカやイノシシが多く、海では、海面が上昇し地形が変化し、河口付近は肥沃になり魚介類が増え、河川を遡上してくるサケは食べきれないほどの豊漁だったようです。
▼この「食料が豊か」だったことが人口増加の要因(西日本は照葉樹林が多かったため食料が少なく、サケなどの遡上もなかった)。しかし、縄文時代後期になると寒冷化がすすみ人口が激減していきます。多くの縄文人たちは、暖かい西日本へ民族移動していったようです。
▼日本の稲作は、朝鮮から伝わった、南方から伝わったと諸説あります。その伝播時代は最近の研究や発掘調査により、弥生時代よりも前の縄文時代にはじまったとわかってきています(東北では縄文後期の竪穴式住居から炭化米が発掘されている)。寒冷化に伴い、稲作を知っていた縄文人たちの移動と重なるとするならば、北と南に住んできたものたちの交流により、技術革新があり、稲作がその地域に即した形で一気に加速したのではないかとも考えられています。なにはともあれ、全国に稲作が普及したことで再度人口を増大させました。
 今年もこの命をつなぐ稲作がはじまります。一粒一粒に大地の力が漲る米を目指します。