稲作だより,  土の声

西暦756年の稲作 土の声 2017.02 No.132

▼雪のない正月を迎えた山形。雪が降ってもあっという間に大地に吸い込まれていった。雪国に住むものにとって雪がない光景は、なんとも不安な気持ちにさせる。「雪は豊年の瑞」、こんな言葉があるからかもしれない。このまま春になるのではと憂いていると1月中旬にどっさりと降ってくれた。
▼万葉集に「新しき 年の初めに 豊の年 しるすとならし 雪の降れるは」とある。詠まれたのは奈良時代。西暦756年。当時の生活が記された播磨国風土記によると、農業では今のような肥料はなく「草敷」といって、田圃に草を入れる緑肥や小魚などを入れていた時代。稲作技術や灌漑施設が未発達なこの時代なら、大雪となれば、雪に含まれる窒素が上乗せされ、雪解け水が豊富となるなど自然の力が大きく影響したと考えらる。
▼当時のことで驚いたのは米の作付面積。現代の3分の1ほどまでに拡大していたという(収量は6分の1程度)。それには朝廷の政策が関与していて、722年の「三世一身法」の失敗のもと、743年に「墾田永世私有令」が打ち出される。この令では、開墾者が三世代ではなく「永久に開拓した田を所有」できることから、貴族などがこぞって開墾し、荘園が生まれた。その作柄は歌に詠まれるほどの大関心事になるのも当然で、雪を眺めながら、目尻を下げていたに違いない。
▼それから1274年後の日本では、作付面積を減らすために苦心している。これも憂うべきか。